- 著者のシュリーマンはトロイア遺跡の発掘をしたことで有名な人だが、彼は考古学を勉強して遺跡の発掘をする前は、とても成功した貿易商だったらしい。そして、インド、香港、上海など現在の中国の都市、日本を廻り、さらにサンフランシスコ、ハバナ、メキシコを経てパリにしばらく滞在した。この長い旅行の間、シュリーマンはずっと旅行記を書いていて、この本はその一部ということになる。まずは清の北京と上海を訪れた時の日記があり、それから横浜、江戸の様子が描かれているが、外国人を迎える現地の人の様子なども国によって少しずつ違うのが面白い。特に当時の中国の様子と比較することで、ある出来事が当時は一般的だったのか、それとも日本に独特のものだったのかが分かるのが良かった。文章も、講談社学術文庫という硬いシリーズにもかかわらず、とても平易で読みやすく、一気に読み切ってしまった。
シュリーマンは日常の本当に些細な点にまで目を向けていて、そこが面白い。日本人の宗教観については他のレビューで触れられているので省くが(彼の観察眼には驚かされる)、市民が毎日入浴していることにも感心しつつ、それにも関わらず日本には皮膚病が多いことに気が付き、その原因を魚を生で食べていることだと推測してみたり、日本人が酸っぱい味を好むので、果物は青いうちに摘み取られ、熟した果物や野菜には関心を持たないと記述している。また、最後にはとても短いがシュリーマンの日本文明論が述べられている。封建体制の抑圧的な傾向を指摘するなど、短い滞在にも関わらず、彼は日本の中に渦巻く目に見えない雰囲気を感じ取っていたようだ。
シュリーマンが清国と日本を訪れたのは1865年5月から約4ヶ月間。日本は大政奉還の直前で欧米諸国への反発も大きく、外国人を取り巻く情勢はかなり不穏なものだったようだ。物珍しいために、みんなが寄ってくるというのもあったが、とても1人で街歩きが出来る状況ではなく、当時はアメリカ以外の国は領事館を江戸ではなく横浜に置いていたらしい(1863年には英国公使館焼き討ち事件が起きている)。何とかつてを駆使して江戸のアメリカ公使館を訪ねることに成功したシュリーマンも、常に5人の役人に付き添われている。そんな限られた自由の中で、ここまでの観察(目で見るだけでなく、様々な人に沢山質問をして色々なことを知ろうとしたのがよく分かる)が出来たことには本当に驚かされる。
最後に、この本の中にはF・ベアトの「幕末日本写真集」から大名屋敷の写真が1枚紹介されている。この本を読む前は知らなかったが、彼は当時の日本の写真を多数撮っており、写真集は現在も入手可能。この本と照らし合わせながら写真集を堪能するのも楽しいのでお勧めだ。 - まず何よりも日本人でもなく、過去につきあいの長かったアジア系の国の人でもなく、
ヨーロッパという全く文化の異なる国の人による江戸時代の描写というのは非常に
貴重である。さらにシュリーマンは数多くの国を訪れた経験があり、話す言語も各国の間
を行き来しやすくなり、学ぶ機会が増えた今でさえそんなに話せるのかと思うほど多言語
を話すことができ、異文化に触れることになれた人である。そのような貴重な資料が手軽に
読めることにまず感謝したい。
シュリーマンは奇異に感じたことはばっさりと批判しているが、だからといって中国の文化を
すべて否定するわけではなく、劇場での劇のすばらしさ長城から見た景色の雄大さは世界でも
一番だとしている。文化に体当たりで触れてみて素直に自分の育ってきた文化との違いや感情
を表現している点が、彼の視点からのありのままのアジア文化を表現していておもしろい。
日本はその清潔さもあり批判的、否定的な記述はほとんどなくべた褒めされているような気分に
なり少し嬉しかった・・・が何とも皮肉なことに褒められた当時の文化は今の押しつけられた
文化ではなく、自分たちで長年育んできたありのままの日本だということがいかに現在の日本が
文化的に廃れてしまったか、とうことを認識させた。
それに関連して西洋文化を結婚までも”モノ”に支配されていると批判している点は非常に
興味深い。日本があまりの家財道具や土地等のいわゆる”モノ”を必要とせず、かといって
芝居や工芸品はよいものがあり、人々が豊かに生活していることに強い衝撃を受けたのだろう。
シュリーマンは不正確なものもあるが数字を使い身の回りのものを記述している。
それは自らの記憶を鮮明にしたかったのか、考古学的にも数字で記述しておいた方が後生の役に
たつと考えたのか、どちらにせよそれにより現実味をおびている。 - 家の近くの古本屋で見つけて購入した。
トロイの遺跡で有名なシュリーマンが日本に来ていたとは不勉強で知らなかった。江戸時代の終わりに 中国を経て 日本に来ていたのだ。
シュリーマンは日本を非常に好意的に書き出している。それは その前によってきた中国(上海)と比較してもはっきりしている。シュリーマンが書き出す日本は 清潔で勤勉な国である。そんな日本人の末裔としては いささかうれしくなったものだ。この本が日本で翻訳され 読まれるとしたら 日本人として読んでいてうれしくなるからではないか。
そんなふうに思った。 - シュリーマンは語学の天才で、トロイア&ミケナイを発掘した偉人として知られる人物。彼が清国と幕末日本の様子を、なんとフランス語で書いたのがこの本だ。
当時の馬がわらじを履いていたという衝撃の記述も楽しいが、最も面白かったのは、やたらに数字が沢山出て来るところだ。
商品の値段が何フランだったか、何時間・合計何マイル歩いてどこに到達したか、役人や足軽が何人か、城壁の高さは何メートルか、石の重さはいくらか、境内の広さ、船の竹竿の間隔、畳の大きさなど、どうやって知ったのか不思議だが、細かく数字で記述されていて、観察のポイントが、他の”幕末外国人訪問記”とは異なっており、独特で面白い。
正直、細かすぎる位なのだが、逆にこれほど正確に観察しメモを取るような人物だからこそ、後に古代文明を発掘できたのだなぁと思った。 - シュリーマンは、私にとって高校時代からのあこがれの存在で
ありました。シュリーマンは、けして恵まれた環境に育ったわけでは
ありませんが、驚異の語学力の才能を発揮し、ある国の言葉を
話したり、書いたりするのに6週間あれば十分で、語学力を
商売に生かし41歳で事業を引退するまでに遺跡発掘の資金
をため、少年のころの夢であるトロイア発掘を成功させた人
物でした。
私が、シュリーマンを知ったのは、『古代への熱情』を読んで
ですが、まさか、シュリーマンが幕末の日本に来ていたとは
知りませんでした。
シュリーマンの日本滞在は、1865年6月1日よりおよそ
1ヶ月の短いものですが、幕末の江戸の文化を知る上で
すぐれた資料となっています。そして、シュリーマンの卓越した
感性が伝えてくれた内容は、日本が明治維新にどうして成功
できたのかを窺わせるものでした。
シュリーマンは、日本滞在前に、清国へも旅行していますが、
日本に対しては、好意的で、蒸気機関の文明以前
としては、最高水準のもの、清潔な住まい、アジアの国々では
女達が完全に無知なのに対して日本の女達は『かな』や漢字で
読み書きができる。などと評価しています。
その後、世界旅行で英気を蓄えたシュリーマンは、考古学の
勉強をしてトロイア発掘を成功させるのです。
【シュリーマンが日本滞在で行った場所】
手工芸の町八王子
江戸の町
浅草浅草寺
王子の茶屋
等々
チョット気になったのは
この時代の馬はわらじを履いていたらしい。70へーかな
(時代劇の馬がわらじを履いていたためしはないが?)
清国では、『街中がぞっとするほど不潔で..全裸同然の屑やを
よく見かける。...ぞっとする光景だが、飢えた犬の群れが
糞集めの人夫の目を盗んで、自分の糞や馬糞をむさぼり食って
いる』と言う記述にも興味を引かれた。
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